無宗教はよくないという話

「あなたの神は誰ですか?」

私がフィリピンにいたときに、何度も聞かれた質問。

日本人の多くは特定の宗教を持っていなかったりする。だけど、フィリピンはキリスト教が大半を占めていて、その中でもカトリックプロテスタント、その他と様々。ムスリムの人も多い。

私はいつもこう答えていた


「神は大勢いる。石や火、土やそのペンにだって存在している。八百万の神が私の神だ。」


だいたいの人はそれで納得してくれる。神はとても大切なものだし、他人の神を否定することはみんなしない。


一度だけ、こう言ったことがある。


「私は無宗教です。神は信じていません」


そうすると、すごく嫌な顔をされた。友達だったから、親切に理由を教えてくれた。

無宗教というと、あなたはなにも信じていないことになる。そういう人を他人が信用できると思う?日本はお寺にも行くし、クリスマスも祝うでしょう?無宗教という言葉は使わないほうがいいよ。」

そこではっとさせられた。

神は信仰心がある人達にとっては、なによりも大切な崇高なもの。たとえ対象の神が違っても、そこは理解できるけど、神がいない人を信用することなんてできない。

カルト宗教とかが目立ってしまった影響で、日本ではどちらかというとお互いの宗教観について話をするのはタブー視されているけど、それもよくないと私は思っている。

信じる力って大切だし、すがるものがあるから生きていく力になる人もいる。


余談だけど、私の地元沖縄では、仏壇のほかにもヒヌカンという火の神様を祭る習慣がある。台所に小さな香炉などを置いて家の安全を願う。こういうのも一種の宗教かなってちょっと思ったりする。


「さて、あなたの神は誰ですか?」